東京へ上京してそろそろ6、7年たつだろうか‥仲良くしてくれる人も有難いことにふえた。自転車を好意でプレゼントしてくれたり、偶然にもお店を始めることとなり ご飯を食べられることになったり。


東京の気候は ぼくの肌にピッタリだ。


冬はスタッドレスタイヤに変えなくても良いし 年中 自転車で都内はどこえでも行ける。冬の日照率は高いし飛行機にのって海外までも1本でゆける。

そしてさらに 色々な人々との出会いが面白い。

北海道にいた時は、出逢う人の殆どが道民であったが 東京にいると大体が地方出身者だ。 彼らはそれぞれ独特な文化を持ち、それぞれの言葉を話し 受け取り方も違う。



なんだか、人間って生き物は おなじ枠の中で生きるよりも 違う枠にドンドン入って行き 溶け込み分かち合うことで 成長するらしいと 何かに書いてあったな。


そんな事を想いながら洒落たフリしてまた二子玉川にあるセルフサービスフレンチのルナティックに自転車で行ってきた。




フランス人で最も尊敬する札幌在住のセバスチャン ポンス氏はこう述べていたのを思い出した。

SNSなどに載せられた食べ物‥今日 私はこれを食べました‥だとか‥そんなもの見たくないょ

確かに、ぼくもルナティックへ行き しかも自転車でフレンチを食べに行く。あたかもリアルが充実しているかの如く載せる自己満足の世界なのであり 心の奥底にはなにか、どうだ!?おれは東京にひとりで出てきて 充実した毎日を、送っているんだぜ⁉︎ いいだろー!

なんて思っているのも事実です。


くだらないからやめよう。





ぼくが ここで訴えるべきことは あれだっ‥

う〜ん‥


敷かれたレールの上から 時には脱線してみようよ‥

みたいな事だ。


まあ、今流行りの(流行ってる?)ミニマル生活だ。




今までは、物質的裕福で、心は狭かった僕がいた。

ものはたくさん買ったし、その殆どは残っていない。



だから気がついた。


もし買い物をするならば30年使えるものを!


とかさ、


なるべく手作りしてみようよ!とかさ、


売ろうと考えないで、身の回りの人5人くらいを喜ばせるものを作ろうとか、5人くらいが泣く唄を作ろうとか、5人くらいが喜ぶご飯を作ってあげようとか‥


とにかくミニマルでよいのだ。


家族4人、◯◯年ローンを、組んでマンションを買い、ホッコリ生活を送る‥

↑これは 社会が生み出したコマーシャルだ。しかし、困った事に こうでなければ生きる意味がないと民衆は解釈はじめた。

まぁ、じゃないとコマーシャルにならへんのやけど。


社会から1歩脱線して生きてみるのも悪くない。


土地だけを買って 小さな、トレーラーハウスに住むのも悪く無い。


この件だけに関しては、客観的な見方はいらない。自分達だけが嬉しくてやっていれば良いのだ。

端から見て、どう思われるかよりも、自分達が嬉しいか、嬉しく無いかが重要だ。そこに『幸せ』はあると思う。


端から見て羨ましがられるような生活の陰には、必ず闇がある。


何故ならそれは観せる為であり常に演技だからである。


嬉しいからこれをやっているのであれば、それはその人にとってこの世の中で1番幸せなのだ。



↑自転車ではしってたらアメリカンなお店を見つけた。ドキドキした。